韮崎市民俗資料館ブログ〜「にらみん」のお散歩日記〜
「にらみん」は韮崎市民俗資料館のニックネームです。伝えたいな~、このまちのいろんなトコやコト♪
今日は節分ですね。豆まきを楽しみにしている方も多いでしょう。
韮崎では、「穴観音」の名で知られる雲岸寺で、毎年力士の方たちによる豆まきが行われていて親しまれています。

「節分」は季節の変わり目(立春・立夏・立秋・立冬)の前日を意味していましたが、のちに「立春の前日」だけを指して使われるようになりました。
これは、立春が年のはじめだという考えから、特に重要視されたためだと言われています。
そうすると、立春の前日は「大晦日」ということになります。このため、節分を「年取り」と言う地域もあります。
今朝、私の祖母は外を見ながら、「今日は晴れて良いお年取りじゃん。こんねん良いお年取りの日はねえよ」と言っていました。

豆まきをすることは現在でも続いていますが、50年ほど前までの山梨では、ざるやかごを使った節分独特の飾りがされていました。
高い竹ざおの先に、ざるや籠、手すくい(茹でたうどんなどをすくう道具)などの「網目のある道具」をくくりつけ、家の入り口(門口)や庭に立てるというものです。

にらみんの展示室にある「手すくい」
手掬い















網目のある道具を「鬼の目」に見立てて、「鬼の目をぶっつぶせー!」と言いながら豆を投げて厄除け・魔よけをしたそうです。何か、今より楽しそう…。
(中央市の豊富郷土資料館さんでは、この節分飾りを再現した豆まきイベントが行われ、毎年大人気です!)

わが韮崎市内で昭和40年前後に調査された民俗事例を見ると、

◎大草町上条東割 羽根地区(昭和40年調査)

・ヒイラギ、ツガ、モミの葉を燃やし、音を立てながら勝手の七種の道具でかきまわしながら豆を炒った。
・いわしの頭を串に刺し、「カラスの口焼け」「すずめの口焼け」と言いながらよく焼く。それを門に立てる。
・薪に消し炭で線を引いたものを門口に立てる。
・竹竿の先に籠などを付けたものを門口に立てる。
・これからはみな厄除けの行事である。

上条東割羽根地区の調査票に描かれていた図
添えられていた節分の図














◎清哲町折居地区(昭和39年調査)
・庭先に手すくいを棒の先につけて立てる。
・門口にはヒイラギの枝へいわしの頭を付けたものを飾った。
・子どもが鬼の面をかぶり、「青造りさゝ」(原文ママ)に五色シメをつけ、各戸をまわってお札を配る。
 村人は心づけをする(お小遣いをあげる)。
 (節分に子どもたちが鬼の面をかぶって村内を回る風習は、近辺の地区では行われていない、という脚注あり)

◎神山町武田地区(昭和40年調査)

・大正末期までは目籠などを高い竹竿の先につるして外に置いた。
・ヒイラギの小枝にいわしの頭を刺して門口にさした。
・これらの風習はいまは廃れてしまった。
・ツガやモミの葉を焚きながら豆を炒って、鬼は外を唱えながら豆をまく。

昭和54年発行の『韮崎市史』では、

・庭先に手掬い、目篭、籾篩(もみふるい)などを竿の先につけて立て、鬼の目になぞらえる。
・豆は、豆殻やごま殻、桧の葉などを燃やしながら大豆を炒る。
・いわしの頭を枝に刺して蛇・害虫・害鳥の口焼き(にらみん注:害をなす虫や鳥の名を唱え、唾を吐きかけながら焼くこと)をする。
 それにヒイラギを添えて土間口にさして、邪霊の侵入を防ぐ。
・豆まきは、一升枡に入れて神棚に供えてから、主人または長男が明きの方(にらみん注:その年の恵方の方角)から「福は内、鬼は外、鬼のまなこぶっつぶせ」と叫びながら各部屋をまく。
・夕飯は、鬼の歯に模して、少量の大麦を白米に混ぜてつくるふうもある。

と記しています。

どうでしょう?今の節分に受け継がれている点も、無くなっている点もありますよね。

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