韮崎市民俗資料館ブログ〜「にらみん」のお散歩日記〜
「にらみん」は韮崎市民俗資料館のニックネームです。伝えたいな~、このまちのいろんなトコやコト♪
今回のウォークでは、城の北西の出入口である乾門跡から入った後、左手の道(帯郭の跡をたどるコース)をとりました。
左の道へ














今回のウォークで歩いたコース。青が本丸までの往路、赤が本丸からの復路です。
お散歩マップでのルート











(新府城跡お散歩マップと解説パンフレット「親子で歩く新府城」は下記からダウンロードできます)
http://niramin01.blog43.fc2.com/blog-entry-515.html

想定復元図で本丸までの往路を示すとこんな感じ。
想定復元図でのルート













前回でご紹介した乾門の二之門を出て左手の道に入り、しばらく平坦な道を歩いていくと、道をさえぎるように窪地が横切っています。
この窪地はかつて堀でした。ということは、築城当時はこの場所に木橋が掛かり、濠を渡るようになっていたと考えられます。
いまは木橋はありませんので、歩いて窪地を渡ります。落ち葉が積もって滑りやすいので、十分注意しながら斜面を降り、向こう側へ渡ります。
木橋がかかっていた














渡った後は、道なりに林の中を歩いて行きます。
林の中を歩いて行きます












この辺りにはマムシグサという変わった形の植物がありました。ほんと、鎌首みたい。
マムシグサ














山椒の木もあったので、葉っぱを摘んで鼻に近づけてみると、本当にさわやかな香りがしました。
新府城跡では植物観察も出来ます。植物に詳しい人と一緒に行くと楽しいと思います。

堀を左手に見ながら進むと、東出構のやや上の辺りに到達します。ここが城の北東の隅ということになります。
東出構えを上から見る















ここで道は右側にカーブし、城の東面の中腹に沿いながら南に向かっていきます。
左手の眼下には県道17号線が見えます。この県道は昭和13年頃工事を行ったもので、築城時には無かった道です。
県道側に出てきました












この辺りではムラサキケマンという花が咲いていました。
華鬘(けまん)とはお寺のお堂の中の柱にかける透かし彫りの飾りです。仏様のいる場所を飾るためのもので、花や鳥、天女などが銅板に透かし彫りされています。華鬘は、元々は生の花で出来た花輪を指していたいたそうです。美しい名前ですね。
ムラサキケマン













県道を左手に見下ろしながら進むと、藤武神社の赤い鳥居が見えてきました。ここで藤武神社の石段と交差します。
藤武神社の鳥居にぶつかりました














大河ドラマ「真田丸」の第一話で、武田勝頼・真田昌幸・穴山梅雪の三人が石段を上って持仏堂へ向かうシーンはここで撮影されました。
石段を見上げたところ















なお、本丸跡に鎮座する藤武神社とそこへ参拝するための石段は、新府城築城時には無かったもので後世に作られました。
よく誤解されますが、「本丸へ直通で行くために作られた石段」ではありません。
大事なお屋形様がいる本丸に、そう簡単に行かれては困るではないですか!城とは「防御」なのですから…。

ちなみに、これも誤解されることがありますが、新府城には石垣はありません。
お城=立派な石垣というイメージを持たれることがありますが、本来、城とは「土を切ったり盛ったりして造り上げるもの」です。
ウォークの案内役をつとめた“おっきいにらみん”いわく、「城という字を思い浮かべてください。土と成という字でしょう?つまり、土で出来ている、という意味そのものなんです!」。なるほどー。

話が逸れましたが、藤武神社の石段を横切ってさらに進んで行きます。方角的には、城の南東隅を目指しています。
さらに帯郭をすすむ














すると、砂利敷の車道と交差する場所に出ました。「↑南大手門」という看板が立っている地点です。
この砂利道は藤武神社の管理のために現代に作られたものです。入り口には車止めがしてあるため、許可車両以外は入ることはできません。歩いて上ることは可能です。
大手門の看板を横切る













砂利の車道を横切って、さらに進んで行きます。
やぶの中の小道を進んで行きますが、このまま行くとお城の外に出てしまいます…。
これ以上行くと城の外へ













そこで、右手の斜面を上ることにしました。
斜面をのぼる













上ると、平坦な小道に出ました。この道を左手に進んで行くと…
平坦な小道へ出た












一気に眺望の開けた平地に出ました!ここが「丸馬出し」です。
丸馬出しに着いた













馬出しとは、城の出入口の前に作られた土塁のことを言います。
城の入り口が外から見たときに丸見えにならないように目隠ししたり、敵が来たときの防御にする目的で作られました。

新府城の馬出しは、丸く弧を描いているので「丸馬出し」と呼ばれています。城の正面玄関である大手桝形の前に作られています。
丸馬出しは武田氏の城郭に見られる特徴であり、信玄が暮らした甲府市のつつじが崎館跡(現・武田神社)からも丸馬出しが発掘されています。
丸馬出しと三日月堀














ちなみに、真田信繁が大阪冬の陣で築いた「真田丸」は、この丸馬出しを元にしているという説もあるそうです(真田丸の形については諸説あります)。

丸馬出しの下は、弧を描く土塁に沿う形で堀になっています。これを「三日月堀」と呼んでいます。

丸馬出しからは富士山も見えます。他国から来た客に対し、案内役の武田家臣は誇らしげにここからの景色を見せたのではないか…そんな想像もふくらみます。
丸馬出しからの富士山














→次回へつづく
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