韮崎市民俗資料館ブログ〜「にらみん」のお散歩日記〜
「にらみん」は韮崎市民俗資料館のニックネームです。伝えたいな~、このまちのいろんなトコやコト♪
今朝は冷たい風が吹いて冬に戻ったようです。
それでも、しっかりと桜はつぼみを膨らませています。

休館日明けの今朝、ロケセット裏の桜が開花していました。木全体で見ると、咲いているのは2割くらいでしょうか。
ロケセット裏の桜 3月24日 全体















この木については、ばっちり開花宣言出せますね。
ロケセット裏の桜 3月24日 アップ














ロケセットと蔵座敷の間の大きな桜は、まだ宣言とはいかず…。一輪咲いていました。
蔵座敷とロケセットの間の桜 3月24日 部分













蔵座敷とロケセットの間の桜 3月24日 全体















一方、韮崎駅前のロータリーの桜(小彼岸桜)はライトアップがはじまりました。
3月22日(火)~4月6日(水) 午後6時30分~午後10時までの予定です。
詳しくは、下記のリンクをご覧ください。

「韮崎駅前の小彼岸桜をライトアップしています」(韮崎市HP)
http://www.city.nirasaki.lg.jp/docs/2015032700017/

また、多くの方が関心を持たれているであろう「王仁塚の桜」の開花状況は、観光協会HPでごらんになれます。

韮崎市観光協会HP
http://www.nirasaki-kankou.jp/

ちなみに、韮崎駅前のロータリーの小彼岸桜が長野県の高遠町から贈られた桜であることをご存知ですか?
その理由が、遠く戦国時代にさかのぼることも。

韮崎駅前ロータリーの小彼岸桜(古くて申し訳ありませんが、2014年3月29日撮影です)
2014年3月29日 韮崎駅前の桜













由来を記した説明看板もあります。
韮崎駅前 高遠の桜の看板













ここ韮崎市から甲斐駒ヶ岳を望んだとき、その山の向こう側には、桜の名所・高遠城跡を有する長野県伊那市高遠町が位置しています。
高遠城は、永禄5年(1562)に武田信玄の四男・勝頼が城主となりました。しかし、勝頼はのちに甲斐国に呼び戻されます。信玄の後を継ぐはずだった長男の義信が、父と対立して自害に追い込まれたため、急きょ勝頼が後継者に指名されたのです。

天正9年(1581)、勝頼は新しい政治の拠点として韮崎に新府城を建設し、領国統治に力を尽くすことを志します。
同じ年には、勝頼のすぐ下の異母弟である仁科盛信が高遠城主となりました。

ところが翌天正10年(1582)、織田信長の長男・信忠が五万の大軍を率いて高遠城を攻撃します。味方の城が次々と織田軍に降る中、盛信は降伏勧告を拒否し、三千人の城兵と奮戦します。しかし、織田軍の猛攻によって戦死し、3月2日高遠城は落城しました。
一方、勝頼は高遠落城の翌日に自ら新府城に火をかけて落ち延び、3月11日に天目山(いまの甲州市大和町)で自害しました。
勢力を弱めていた勝頼を裏切ることなく、最後まで戦い続けたのは高遠の人々だったのです。

このような歴史的背景を持つ韮崎市と伊那市高遠町(桜を寄贈して下さった当時は上伊那郡高遠町)は、昭和49年(1974)以来、毎年相互交流を実施しています。
韮崎駅前ロータリーにある小彼岸桜は、昭和53年(1978)に高遠町より寄贈されました。
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