韮崎市民俗資料館ブログ〜「にらみん」のお散歩日記〜
「にらみん」は韮崎市民俗資料館のニックネームです。伝えたいな~、このまちのいろんなトコやコト♪
昨日の朝は雨が本降りでしたが、雨脚が去った後はさわやかな青空となりました。
そして、今日も絶好の行楽日和です!陽射しがあたたかい。

どこへ行こうかな?と考えている皆さま、韮崎でお祭りをやっていますよ!

韮崎駅からほど近い名刹・雲岸寺の「窟(あな)観音祭り」が今日と明日の二日間開催されます(写真は節分会の時のものですみません…)。
雲岸寺












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(以下は韮崎市観光協会HPより)

峡北に春を告げるお祭り「窟観音祭典」が、雲岸寺にて今年も行われます。
●日時
平成28年3月20日(日) 歩行者天国:午前9時~午後9時

3月21日(月) 歩行者天国:午前9時~午後7時

●場所    雲岸寺境内、窟観音御堂(韮崎市中央町11-2)
●行事    3月20日      バンド演奏、マジックショー、福引大会、
                   よさこい踊り、フジサクラ塾(歌と踊り)
                    風船ショー 終日
        3月21日     窟観音本堂にてご祈祷会、稚児行列(町内を徒歩進行)、
                   マジックショー、バンド演奏、よさこい踊り、
                   フジサクラ塾(歌と踊り)、ビンゴ大会、じゃんけん大会
                    風船ショー 終日
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窟観音祭りは毎年春分の日の前後二日間に行われ、「峡北(山梨県西北部)に春を告げるお祭り」として有名です。
その名のとおり、このお祭りの頃には桜がほころび、明らかに風の匂いが春のものに変わっています。
今日、明日はまさにその「春を告げる」感覚を五感すべてで感じられるでしょう。

お祭りのお楽しみ、屋台もたくさん出ますよ^^ 足を運んでみてはいかがでしょうか?

そして、「お祭り」だけでなく、雲岸寺というお寺さんそのものに大変見どころがあります!

雲岸寺は、江戸時代の甲州街道と佐久往還の分岐点(いまの「本町」交差点)の近くに位置する古刹です。
室町時代の寛正五年(1464)に真言宗の道場として開かれ、その後、江戸時代初めの元和元年(1615)に蔵前院二世の天越和尚により曹洞宗に改められました。

境内東側の七里岩の断崖には、弘法大師・空海が自作の観音菩薩像をまつったと伝わるほら穴「窟(いわや・あな)」があり、寺の起源は平安時代までさかのぼるとも言われています。
雲岸寺が通称「窟(あな)観音」と呼ばれているのは、このほら穴があるためです。
弘法大師が観音像を安置したのち、地元の人々がそれを覆うお堂を建てました。岸壁に貼りついてます!

窟観音堂















寺記によると舞台づくりのお堂が作られたのは寛正六年(1465)で、以後江戸、昭和、平成と修理を重ねながら今に至っています。ほら穴に庇(ひさし)とベランダを付けたような形で、まるで断崖にお堂がめり込んでいるようです。
お堂の中は下の写真のようになっています。石畳に朱塗りの柱で立派です。窟観音祭りの日は、年に一度観音像が開扉されます。
窟堂には観音菩薩像だけでなく、江戸時代の寛文八年(1668)に開眼した千体仏もまつられています。
ぎっしりと並んだ小さなお地蔵さんです。この千体の中に自分と目が合うお地蔵さんがいて、見つけられると良いことがあると言われています。
窟堂の中
















また、窟の左脇に岸壁を貫通したトンネルがあり、昔から参道として使われていました。
トンネル













トンネルの東側出入口(旧市民会館跡の公園)の様子。韮崎駅から歩いて来た場合、こちら側が近道になります。
穴観音東側参道















門柱の脇には「岩屋観世音」と書かれた享保九年(1724)の石碑が建っており、江戸時代にはすでに参道として使われていたことが分かります。
岩屋観世音
















雲岸寺の窟の左脇からつづくトンネルを抜けると、旧市民会館(市民交流センター「ニコリ」の前身)の跡地に出ます。
いまは小さな公園になっていますが、その一角に甲州街道と佐久往還の道標が保存されています。
この道標は、もとは韮崎宿の甲州街道と佐久往還の分岐点(いまの「本町」交差点)に立っていたものです。

右   信州さく郡のみち
左   信州すわ上みち
側面  元禄八乙亥年八月
旧市民会館道標














この道標がもと立っていた場所です。今の「本町」交差点にあたります。
本町交差点














江戸時代、交差点の北側は角島こと百瀬家、南側は大島屋こと保坂家という韮崎宿屈指の商家でした。
昭和四十七年(1972)の札幌冬季オリンピックの際は、東京からやって来た聖火をここで二つに分け、一つは佐久往還を通って佐久へ、もう一つは甲州街道を通って諏訪を目指し、以後二つのルートで札幌を目指していったという逸話があります。

窟観音のお祭りにおいでの際は、ぜひ周りも散策して、歴史の痕跡を探してくださいね。
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