韮崎市民俗資料館ブログ〜「にらみん」のお散歩日記〜
「にらみん」は韮崎市民俗資料館のニックネームです。伝えたいな~、このまちのいろんなトコやコト♪
2016/03/11(金) 14:00:17

「3月11日」のこと

今日平成28年3月11日は、東日本大震災から5年目の節目に当たります。
あの日の恐ろしさ、驚愕、不安、悲しみ…決して忘れてはならぬものです。
助け合うことで生まれる力、助け合うことでしか生まれない力、そのことも忘れてはならぬと思います。

災害を防いだり、被害を軽減する(減災)のヒントは、自分が住んでいる地域の地形や自然環境を知ることの中にもあると思います。
地域の歴史に目を向けることは、同時に、地域の自然環境に目を向けることでもあります。
「歴史を学ぶことは、過去から学び、未来に生かすこと」。
よく言われることではありますが、この機会に改めて実践したいものです。

また、震災で被災された方々が、地域のお祭りや神社仏閣を心の拠り所としたことを、度々報道で知りました。
少子高齢化で、地域のお祭りを継続していくのはどこも困難な時代です。
しかし、コミュニティとそこにいる人たちの心が危機に瀕したとき、普段は役に立たないように見える「文化」が支えになるのだと教えてもらったように思います。
その意味でも、地域に伝わる行事や風習に関心を持ち、伝えて行くことの重要性を感じました。

山神社(穂坂町上今井)の春祭りと、見学で訪れた地元の小学生たち
山神社の春祭りと、見学する小学生















ところで、3月11日は、他にもメモリアルな日にちとなっています。

韮崎にとって一つ目は、新府城の主・武田勝頼の命日であることです。
すなわち、戦国大名武田家が滅亡した日になります。

天正10年(1582)3月3日、信濃から迫る織田軍の勢いを前に、勝頼は新府城に火を放って落ち延びる決断をします。
そして大月の岩殿城を目指すのですが、志半ばにして織田軍に追い詰められ、3月11日に田野(いまの甲州市大和町)で自害して果てました。
(※勝頼が織田軍に攻められて新府城で自害したと思っておられる方が時々いらっしゃいますが、そうではありません)

写真は、新府城の本丸跡に江戸時代に建てられた勝頼公霊社です。
勝頼公霊社















本丸跡には新府城の推定復元図や解説看板もありますので、見学のご参考になさってください。
新府城復元図 本丸跡の看板















新府城解説文 本丸跡の看板















韮崎にとって二つ目は、明治〜大正時代に活躍した実業家・小野金六(1852-1923) の命日であることです。
小野金六は、今の韮崎市本町通りにあった造り酒屋「富屋」に生まれ、JR身延線の元となった私鉄「富士身延鉄道」の初代社長を務めました(富士身延鉄道は昭和3年に全線開業)。
富士製紙社長や東京電燈取締役なども歴任し、いわゆる「甲州財閥」の一人として名を馳せたほか、富士北麓地域の観光開発の先駆けとなる事業計画にも携わりました。

小野金六の胸像(蔵座敷内に展示)
小野金六胸像
















地元の教育にも貢献し、韮崎小学校の講堂を建設する資金として三万円(いまの金額で数億円)を寄付しています。
大正12年3月11日に亡くなりました。

富屋の跡地は現在、山梨県民信用組合韮崎支店となっていますが、富家の蔵座敷が民俗資料館に移築保存されています。
甲州街道韮崎宿の豪商として200年以上続いた富屋の暮らしをつたえる貴重な建物です。
桜の蔵座敷

























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