韮崎市民俗資料館ブログ〜「にらみん」のお散歩日記〜
「にらみん」は韮崎市民俗資料館のニックネームです。伝えたいな~、このまちのいろんなトコやコト♪
玉保寺跡の墓地を見た後、そのまま道なりに北に歩いていきます。
左手側は山、右手側は水田が広がる景観です。水面が強い日差しを反射してきらめいています。
お田植えがさかんでした
















そんな風景を眺めながら数分歩いて行くと、堅沢(たつさわ)という川に突き当たりました。
この川が、今眺めてきたこの地域の水田を潤しています。
本日のメインイベント?は、その水の恵みの源を体感するべく堅沢をさかのぼって滝を見に行くことなのです!

が、まずはその前に。堅沢川を渡った先に謎に満ちた史跡があるので、そちらを訪ねてみましょう!まさに知られざるポイントです。

堅沢に架かる「堅沢上橋」を渡って、清哲町水上地区に入ります。
丸太が支えている!
















幅の狭い小さな橋ですが、水面からの高さはなかなかにあります。
そしてよく見ると、橋を支えている部材に丸太が使われていますよ!

橋を渡って道なりに数分歩いた突き当たりに防火水槽があります。
その防火水槽の上、道路から少し見上げるような場所に古いお石塔が立ち並んでいます。
蒲原城主の供養塔
















16世紀(室町時代)の石塔群ですが、その中に「善福寺殿衝天良月大居士」と刻まれた供養塔があります。
北条時之供養塔
















「善福寺殿」とは、静岡にあった蒲原城というお城の城主であった北条新三郎時之という戦国武将のことです。
永禄12年(1569)、武田信玄の命によって出陣した武田勝頼を総大将とする軍に攻められ、蒲原城は落城しました。北条時之は真田幸隆・信綱親子の軍勢によって討ち取られたと伝えられています。
つまり武田家の敵であった武将の供養塔が、武田家発祥の地であり、武田家の氏神たる武田八幡宮からほど近い場所にある訳です。とても不思議な感じがします。
残念ながら、その理由・歴史的経緯は不明だそうですが、何気ない道端の石塔の中に歴史の奇妙な巡りあわせやミステリーが潜んでいることを実感できました。

まさに「ふるさと歴史再発見」を肌で感じたところで、先ほどの堅沢上橋へ戻ります。
そしてここから、堅沢に沿って上流へとさかのぼってゆき、「大滝」と呼ばれる滝を目指してゆきます。
そこはマイナスイオンと涼しさがあふれ出ているはず!
がんばって上って行きます。
→次回③へつづく。


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