韮崎市民俗資料館ブログ〜「にらみん」のお散歩日記〜
「にらみん」は韮崎市民俗資料館のニックネームです。伝えたいな~、このまちのいろんなトコやコト♪
まるで夏のような5月最後の土曜日、平成27年度第1回ふるさと再発見ウォークが行われました。目にまぶしい青空と木々の緑!お田植えの風景もさかんに見られましたよ。
30人を超える参加者の方々にお集まり頂き、盛況なウォークとなりました。
聞けば、リピーターや地元の方々の他、韮崎に移り住んで間もない方々のご参加もあったとか。とてもうれしいことです!

ふるさと歴史再発見ウォークは韮崎中央公民館が申込み窓口となり、年に3〜4回実施しています。
韮崎市内の様々な地区を歩いて、メジャーな寺社や史跡はもちろん、地元民さえも知らない!?隠れた歴史のみどころを「再発見」しています。
いうなれば、「韮崎版ブラ○モリ」だとにらみんは思っています。

さて今回は、武田八幡宮の二の鳥居を出発点に、神山町北宮地地区、清哲町水上地区の史跡や利水関連のポイントを歩きました。さらに、水の恵みの源と涼を体感するために、堅沢川をさかのぼって「大滝」という滝を目指しました!
今回のコースのテーマは「武田発祥の地で涼みを体験」です。

まずは武田八幡宮の二の鳥居からスタート。
武田八幡宮 二の鳥居からスタート
















武田八幡宮を目指しますが…鳥居からまっすぐ続く道の両側で、ある「違い」があることにお気づきでしょうか?
参道の北側のお宅は参道に面して玄関があるのに対し、南側のお宅は参道側に玄関がありません。
南側のお宅は、鳥居より一本南の道に面して玄関があります。

不思議ですが、考えられる理由としては、現在の参道(鳥居正面の道。大門通りとも呼ばれる)はかつては神様が通る道とされ、村の人が日常に通る道ではなかったのではないか?ということです。
一本南側の道(中通りとも呼ばれるそうです)が、村の人たちが日常使う道だったということが考えられます。
そこで、今回は、鳥居より一本南の道を歩いて神社へ向かいました。
あえて中通りを歩きます
















武田八幡宮の三の鳥居(石鳥居)にたどり着くと、あれ?正面は石垣があって入れません。
武田八幡宮 石鳥居
















鳥居の左右にある石段から神社へ入るようになっています。
これも先ほどの理由と同じで、正面は神様が通る道、人間はそれをよけて左右から入るように…という思いの表れなのかもしれません。
鳥居の両脇には天をつくような杉の巨木がそびえていますが、これも一種の鳥居と解することもできます。

ちなみに、三の鳥居から振り返ると、茅ヶ岳方面が一望できます!
すがすがしい気持ちになれますので、ぜひごらんください。
石鳥居からの眺め
















三の鳥居付近では、もう一つ見逃せないものがあります。
石垣の手前右側にある「一石百観音像」。江戸時代の宝永六年(1709)年に造られた石仏です。
一つの石に、西国三十三ヵ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の各観音霊場の本尊が刻まれています。だから合計百観音!
一石百観音













一石百観音を見学中















こちらにお参りすれば三つの霊場巡りのご利益が得られると言われているものですが、ズルいとか言ってはいけません。
車も電車も無く、しかも旅をするには役所の許可が要った江戸時代。しかも旅には危険も付き物ですし、旅に出るために家族の同意を得たり、お金を貯めるのも大変だったでしょう。各地の霊場を巡るという行為は、私たちが考えるよりずっと困難なものだったはずです。
そんな当時の人々の思いを感じ取ることができる石仏です。

近寄って拝見すると、ほら、一つ一つかわいいお顔。なごみます〜。
一つ一つのお顔がかわいい













この一石百観音像は、もともとこの場所にはありませんでした。
建立当時は、現在地から北へ500mほどの場所にあった「玉保寺」というお寺にありました。玉保寺が廃寺になった後、明治17年に信徒の方たちが武田八幡宮の神宮寺跡に移し、さらに現在地に移ってきたそうです。

では、次はその玉保寺があった跡地に行ってみましょう。
三の鳥居から参道を50mほど下ったところに北へ向かう細い道があります。
そこを道なりに数分あるくと、左手側の小高いところに墓地があります。これが玉保寺の跡地、最初に一石百観音像が建立された場所です。
玉石寺跡
















なお、玉保寺は廃絶しましたが、本末寺関係にあった願成寺(神山町鍋山)さんが、主を失ったお石塔を憂いて自らの寺に石塔類を移しました。現在、願成寺の山門を入って右側の石塔類を見ると、その中に玉保寺の字を見つけることができます。

さて、まだまだウォークは続きます。これから、清哲町水上方面に向かいます。
「武田家の敵」の供養塔が、なぜかこの武田家発祥の地に里にあるのです。
→②へつづく。
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