韮崎市民俗資料館ブログ〜「にらみん」のお散歩日記〜
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2010/01/28(木) 12:27:33

新府城のこと 2

こんにちは!にらみんです!
さて、前回は新府城の名前のことと、誰が城を作らせたのかの話しをしましたね。

今日は、武田勝頼(たけだかつより)さんが新府城を築城(ちくじょう)したのがいつなのか?などについて紹介したいと思います。
ちなみに、「築城」は「お城を作ること」ですので覚えておいてくださいね。

新府城に勝頼さんが、入城したのは天正(てんしょう)9年の
12月24日[XmasOrns]雪の結晶/雪の結晶06 †SbWebs†[XmasOrns]ロゴ#03 †SbWebs†[XmasOrns]ロゴ#04 †SbWebs†[XmasOrns]ロゴ#05 †SbWebs†[XmasOrns]ロゴ#06 †SbWebs†[XmasOrns]ロゴ#07 †SbWebs†[XmasOrns]ロゴ#08 †SbWebs†[XmasOrns]雪の結晶/雪の結晶06 †SbWebs†といわれています。
新府城跡のイラスト
天正9年を西暦(せいれき)にすると1581年です。今から、約430年前ということになります。そして旧暦の12月24日は今の1月末ですから、とても寒かったのではないでしょうか? 
 
勝頼さんが入城するときにはキラリきらびやかキラリであったことが、『信長公記』(しんちょうこうき)という書物に書かれています。

どんな思いで、勝頼さんはお爺さんの信虎(のぶとら)さん、お父さんである信玄(しんげん)さんと3代続いて住んでいた躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)から引っ越したのでしょうね?

さて、ちょっと難しいかもしれませんが、『信長公記』にどのように書かれているかというと・・・。

「去る年十二月廿四日に、古府より新府今城へ勝頼、簾中、一門移徙の砌は、金銀を鏤め、輿車、馬鞍美々しくして、隣国の諸侍に騎馬をうたせ、崇敬斜ならず。・・・・」

どのような内容かというと

「去年の12月24日に、躑躅ヶ崎館から新府城へ勝頼はやってきたが、金銀をちりばめたように輿車(こしぐるま・偉い人の乗る車)や馬の鞍(くら)も美しくて、諸国の侍たちが馬に乗って、とてもはやなかな入城だった」といった内容です。

*「廿四日」=「24日」です。「廿」は「二十」のこと。
*「古府」=「古府中」で、以前の府中(ふちゅう)ということで、ここでは躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた・甲府市)ということになります。
*「移徒」=「いし」で「移ること」。
*「砌」=「みぎり」で「~の時」

*誤字があるかもしれませんので、宿題に使うときには本を調べて確認してくださいね。
 
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