信仰の山「苗敷山」に登りました② 〜平成27年度第3回ふるさと歴史再発見ウォーク〜
イベントの様子
ジグザグの坂道をがんばって登ってゆくと、「お山の神」と呼ばれる石のほこらと狛犬がありました(9時54分)。
丁石はないのですが、七丁目に相当すると考えられています。


ここの狛犬さん、すごーく可愛いのです。にらみんお気に入りです。
眉毛がいいよね、と参加者の方もおっしゃっていました。
阿形さん。

吽形さん。

狛犬さんの足下に何本か竹が置かれていますが、これは弓と矢を表した奉納品です(一本だけ長いものが弓を表している)。
台座の銘文から、慶応4年(1868)に苗敷山のふもとの久保地区と竹ノ内地区の苗敷講によって奉納されたものと分かります。
お山の神様からさらに登っていくと、立派な石鳥居があります(10時46分)。
丁石はありませんが、十三丁目に相当すると考えられます。頂上まで半分のところですね。
鳥居の高さは約4.7m。鳥居を通して、ちょうど頂上の穂見神社奥宮を拝するように建っています。

鳥居の貫に「寛文四年」、脚元には「大工府中魚町二丁目大阪吉兵衛」の銘文があります。
1664年の建立ということになり、県内の記年銘を持つ石鳥居の中では古い部類に入るそうです。

作ったのは、甲府の魚町二丁目(現在の甲府駅から南東へ徒歩10分ほど、印伝屋上原勇七本店のある「中央交差点」から少し北に上がったあたり。魚町二丁目には江戸時代、魚市場があった)に住んでいた大阪吉兵衛さんという大工ということが分かります。
堂々とした石鳥居から、いかに苗敷山が信仰の山として篤く敬われていたかが偲ばれますね。
鳥居から10分ほど登ると、絶景ポイントにたどり着きました(11時10分)。
富士山がきれいに見えます!

さらに20分ほど登ると、金峰山や八ヶ岳が見えるポイントに(11時33分)。

こうして見渡すと、苗敷山が単独の山として信仰を集めただけでなく、金峰山や八ヶ岳、茅ヶ岳、甲斐駒や鳳凰三山など、盆地をを囲む山々の信仰のネットワークの中にあったことが感じられます。
そこから少し登ると、十九と二十丁目の丁石がありました(11時39分)。

二十丁目を少し過ぎると、縁結びの社があったという「結び社跡」があり、石段と小さな平坦面と礎石がありました(11時41分)。
結び社跡からは、道の傾斜が険しくなり、木々の間の急坂を足下に気を付けながら慎重に登っていきます。

30分ほどで、水が湧き出る水場に着きました(12時10分)。

ここは二十四丁目の丁石があり、かつて不動堂があったと言われ、今は平安時代の歌人・西行の歌碑が建っています。
江戸時代に苗敷山のふもとに住み、西行を尊敬した遠近庵引蝶(堀内引蝶)という俳人が句集を刊行したのち、その仲間たちと宝生寺(苗敷山穂見神社の別当寺)の住職が中心となって建立した、ということが碑文から分かります(天明7年=1787年)。
歌碑には「甲斐の国 こまの郡の 苗敷の そのから松の 下そすずしき」とありますが(実際は万葉仮名で刻まれています)、西行が詠んだものではなく、後世の偽作であろうと考えられています。
西行が訪れた地、という「西行伝説」ゆかりの場所と言えるでしょう。
歌碑から数分登ると(12時14分)、このウォークで一番の絶景が待っていました。
富士山と下界一望です。元気になりますね!頂上まであと少しです。

12時17分、ついに穂見神社奥宮の石段にやってきました。ここを上がればゴール!

すごく急だし、滑りやすいし、段の幅が狭くて上りにくいけど、細心の注意を払いながら本殿を目指します。

12時24分、苗敷山穂見神社奥宮に到着しましたー!

9時25分ころに集合場所を出発しましたから、ゆっくり歩いて2時間かかったことになります。
ゴールしたらお待ちかねのお弁当です。歩いたあとはひとしお美味しいですね。
丁石はないのですが、七丁目に相当すると考えられています。


ここの狛犬さん、すごーく可愛いのです。にらみんお気に入りです。
眉毛がいいよね、と参加者の方もおっしゃっていました。
阿形さん。

吽形さん。

狛犬さんの足下に何本か竹が置かれていますが、これは弓と矢を表した奉納品です(一本だけ長いものが弓を表している)。
台座の銘文から、慶応4年(1868)に苗敷山のふもとの久保地区と竹ノ内地区の苗敷講によって奉納されたものと分かります。
お山の神様からさらに登っていくと、立派な石鳥居があります(10時46分)。
丁石はありませんが、十三丁目に相当すると考えられます。頂上まで半分のところですね。
鳥居の高さは約4.7m。鳥居を通して、ちょうど頂上の穂見神社奥宮を拝するように建っています。

鳥居の貫に「寛文四年」、脚元には「大工府中魚町二丁目大阪吉兵衛」の銘文があります。
1664年の建立ということになり、県内の記年銘を持つ石鳥居の中では古い部類に入るそうです。

作ったのは、甲府の魚町二丁目(現在の甲府駅から南東へ徒歩10分ほど、印伝屋上原勇七本店のある「中央交差点」から少し北に上がったあたり。魚町二丁目には江戸時代、魚市場があった)に住んでいた大阪吉兵衛さんという大工ということが分かります。
堂々とした石鳥居から、いかに苗敷山が信仰の山として篤く敬われていたかが偲ばれますね。
鳥居から10分ほど登ると、絶景ポイントにたどり着きました(11時10分)。
富士山がきれいに見えます!

さらに20分ほど登ると、金峰山や八ヶ岳が見えるポイントに(11時33分)。

こうして見渡すと、苗敷山が単独の山として信仰を集めただけでなく、金峰山や八ヶ岳、茅ヶ岳、甲斐駒や鳳凰三山など、盆地をを囲む山々の信仰のネットワークの中にあったことが感じられます。
そこから少し登ると、十九と二十丁目の丁石がありました(11時39分)。

二十丁目を少し過ぎると、縁結びの社があったという「結び社跡」があり、石段と小さな平坦面と礎石がありました(11時41分)。
結び社跡からは、道の傾斜が険しくなり、木々の間の急坂を足下に気を付けながら慎重に登っていきます。

30分ほどで、水が湧き出る水場に着きました(12時10分)。

ここは二十四丁目の丁石があり、かつて不動堂があったと言われ、今は平安時代の歌人・西行の歌碑が建っています。
江戸時代に苗敷山のふもとに住み、西行を尊敬した遠近庵引蝶(堀内引蝶)という俳人が句集を刊行したのち、その仲間たちと宝生寺(苗敷山穂見神社の別当寺)の住職が中心となって建立した、ということが碑文から分かります(天明7年=1787年)。
歌碑には「甲斐の国 こまの郡の 苗敷の そのから松の 下そすずしき」とありますが(実際は万葉仮名で刻まれています)、西行が詠んだものではなく、後世の偽作であろうと考えられています。
西行が訪れた地、という「西行伝説」ゆかりの場所と言えるでしょう。
歌碑から数分登ると(12時14分)、このウォークで一番の絶景が待っていました。
富士山と下界一望です。元気になりますね!頂上まであと少しです。

12時17分、ついに穂見神社奥宮の石段にやってきました。ここを上がればゴール!

すごく急だし、滑りやすいし、段の幅が狭くて上りにくいけど、細心の注意を払いながら本殿を目指します。

12時24分、苗敷山穂見神社奥宮に到着しましたー!

9時25分ころに集合場所を出発しましたから、ゆっくり歩いて2時間かかったことになります。
ゴールしたらお待ちかねのお弁当です。歩いたあとはひとしお美味しいですね。